「ストロボ」真保 裕一著

写真家の半生を描く長編。良質のエンターテイメントだ。人物像も物語も申し分ない。
アーティストが登場する小説は数多いが、たいていの作品では登場するアートが駄作に見えてしまうことが多い。しかし「ストロボ」は登場するアートを感じることができる。アルチザンであることを常に求められる商業写真家の心理の襞を、よくぞここまで描き出せるものだ。これは、真保 裕一氏がアートとエンジニアリングの関係を適切に描き出しているからなのだろう。
アートを成立させるために必要なエンジニアリングは、写真の場合、過去の膨大な資産と訓練で培うことができ、3DCGでは文献を読みこなすことや使用しているツールでの検証を行うことで学ぶことができる。この過程にセンスや才能といわれる不確定なものはない。だが、作品の評価は、作家のアートだけが常に評価される。この現実の中で、クライアントの期待する作品を提出することと、自らの魂の結実を生み出すことを目指し、あきらめ、両立させる登場人物たちの姿がとてもすばらしい。
私は、3DCGという初期写真術のように技術とアートが綱引きをしているような分野で仕事をしている。作品が優れていることと、優れた技術を使っていることには関係がないが、優れた作品を生み出すために優れた技術による支援は有用だ。3DCGでは毎年のように優れたアートを生み出すためのイノベーションが生まれ、廃れていく。
「ストロボ」を読了して、また、何か作りたくなった。