Tea Room for Conferenceで突っ込まれていたとわ

警察や国家、恐るに足らずと思っているわけではありません。私だってなーんも関係ないのに警察に拘禁されたことはあるし、国家の動かせる力の方が注意すべき存在であることも同意です。
ただはっきりとオレ基準なんですが、官僚や警察が振るうのは結果としてその時々の民意でしかない。国が戦争をできるなら、それは間接的にかもしれないが国民が望んだ結果だ。警察が法律を破ってまで取り締まりや逮捕を行うなら、そのような警察の存在を許している国民の望みなんじゃないか。もちろん国家や警察が高精度で個人をトラッキングできることを望む人も、トラッキングされてようがなかろうが興味ないよという人もいるはず。そして、国家や警察の管理力を削ぐ方向に持って行くための活動ってのは戦後ずーっと絶えたことがないから、ある意味安心しておまかせ…じゃないな、私もそういう声を挙げる一員だろうし…てなわけで活動している。
ただ、このようなトラッキングを考える時、「国家による管理」というひとつの(そして巨大な影響力のある)応用例が、私の色眼鏡になっている。国が管理できるから、反対しているんじゃないか?脊髄反射で嫌いになってないか?>オレ<これを外すために、あの文章を書いたのです。
もう一つの理由は、錨として。トラッキングできるインフラが整備された場合、それを使う誘惑に勝てないだろう団体は国や官僚警察官だけじゃない。人がそういう誘惑に勝てるかどうかは判らないが、少なくとも私は、誘惑に負けるかもしれないから。