[neta]自分の考えを他人の口を使って表現するのが「インタビュー記事」だから……
仕事柄、年に何度かインタビュー記事のためのインタビューを受けるが、必ず私にしゃべってほしいストーリーやエピソードを準備してきている。もちろん取材対象である私に「これこれをこういう風にしゃべってください」なんてオーダーを出す訳じゃぁないけどね。
インタビュー記事が取材対象の紹介ではなく、記者のオピニオンを権威付けするための記事制作であることは別に悪いことじゃない。ジャーナリズムだって商売である。彼らは彼らのポリシーを表明することで飯を食ってるんであって、右から左へ流すときにサヤを抜くような商売じゃない。
ただ、こちらも同じく慈善事業ではないし、会社に所属している立場で会社の時間を使ってインタビューに応じているわけであるから、私には製品や会社のプロモーションに貢献する記事を書いてもらう使命がある。
だから、私は彼らのやりたいことを応援することにしている。インタビューの現場では質問から彼らのオピニオンを探り、それをこちらが表明したい事実でピュアに表現できないかどうか考えながら質問に応え、食いつきの良さそうなエピソードを用意する。
ジャーナリズムの中立性を守るため取材対象に記事を見せないルールがあることは百も承知しているが、よりよい記事を一緒に作っていくために、記事のオピニオンを損ねないことを約束しつつ「明らかな間違いを修正するために」記事の校正を要求もする。可能であれば魅力的に見せるための提案なども行う。
記者、編集者は取材対象をどのようにも見せるチカラを持っている。まな板の上のコイにできることはそれほど多くないのだが、最善を尽くす努力を怠ってしまうと覚えのない「私の発言」がメディアに登場してしまうのだ。
古川氏のブログをみてつらつら考えた。戦ってるなぁ。僭越ながら、がんばれー。
日経BP ITPro殿に、苦言